世界トップブランドのファスナーメーカーであるYKKや、窓やドアなどを販売・製造する国内大手建材メーカーYKK APを擁するグループの子会社であるYKK六甲株式会社は、障害者雇用促進法に基づく特例子会社で、ほぼ100%YKKグループから仕事を受注しています。現在の売り上げは、8割強が商業印刷物、2割弱はサイト事業(アーカイブ、書類保管業務)で構成され、設備は、製版から後加工まで一貫生産体制を整えており、印刷機はハイデルベルグのデジタル印刷機バーサファイアEPが2台と、オフセット印刷機は、菊半サイズの4色機のスピードマスターXL75アニカラー1台と国産の菊半歳の4色機1台を有しています。
YKK六甲株式会社は、1999年に神戸六甲アイランドで商業印刷会社として操業を開始しました。創業当時の現場は印刷経験のない障害者10名で、同業他社の協力も得ながら、大手印刷会社から製版、印刷、加工部門にそれぞれ1名ずつ指導者を迎え、学習しながら生産を行うという挑戦に満ちたスタートでした。当時の仕事は、YKK APのアルミ建材関係の取扱説明書が8割ということで、設備は国産の菊半サイズの反転機構付オフセット印刷機の2色機が2台と、2割ほどのカラー物であるグループの社内報をこなすためのA3縦通しの4色機が1台でした。現在工場長を務める崎濱健一氏は、当時指導を受けた創業メンバーの一人です。2色機のオペレータを担当していましが、「とにかく見て覚えろという指導だったので、長い時間をかけてこの作業はそのためだったのかと覚えていった感じです。一人で印刷機を回せるようになるまで5年かかりました。」と、語っています。
そのYKK六甲株式会社に最初の試練が訪れたのは、2006年です。突然、年間6000万の仕事が打ち切られました。そこで、皆で考えたのがSNSサイトへの進出です。障害者の人たちの交流は狭い地域ではあるものの、全国的にはありませんでした。同じ障害を持つ他の地域に住む人が、どういう仕事をしているか、どういう生活をしているかとか、情報が全く入ってこないという課題がありました。そこでネットでそうした場を提供しようと「ファミリーム」というSNSサイトを開発し、印刷以外のビジネスを立ち上げました。YKK六甲は、その後も、鋭い顧客ニーズへの感度で、歴史資料アーカイブビジネスや書類保管の受託業務なども展開しています。
一方、YKKグループ内でもまだ知名度が低く、知っている部署だけから発注をもらうという状況を打破するために、この時期からグループ内への積極的な営業を開始しました。「その時、これからは同じ印刷物でも“なくならない仕事”をしようと考え、そうした仕事を探し始めました。そこでまず出てきたのがYKKグループ製品の現物サンプルです。チラシ等がなくなったとしても、窓やドアなどの商品は持って歩けないし、営業ツールとしてバー材を切ったものを張り付けた見本帳はなくならないだろうと、見本帳の受注に取り組んだのです。」そう語るのは、2020年に代表取締役社長に就任した小山将志氏です。見本帳は、印刷した台紙にサンプルを張り付ける手作業による丁寧な反復作業が求められます。そうした作業を得意分野のひとつとするYKK六甲は、売り上げの新たな柱を獲得することに成功しました。
2009年、YKK六甲株式会社に、新たな試練がやってきます。リーマンショックによる経済不安です。親会社であるYKK APが、この経済不安に対応するため生産方式を大量生産から、受注生産、つまり少量生産に変えたのです。それにより、今まで1回の注文で5000部くらい発注されていた取扱説明書等が、少ないものだと100部、それを複数回に分けて発注するというように変わってきました。「小ロットになったことによって単価は上がり、悲しいかなグループ企業でも相見積を取られて負けてしまうという状況に陥りました。以前から印刷業界では小ロット化という話はありましたが、この機会にウチも小ロット化に対応するため、思い切ってオンデマンドに移行しようという決断をしました。」と、小山社長は当時を振り返ります。品質を重視した最初のデジタル印刷機導入にあたっては、ちょうどあるメーカーがトナー方式の新しいデジタル印刷機の販売を開始するタイミングだったので、それを発注先にもショールームで見てもらうことで決定したと言います。実際に初のオンデマンド機が導入されたのは、2010年でした。
そして、2018年その最初のデジタル印刷機の入れ替えの話が持ち上がりました。実は、売り上げの柱となっていた前述の見本帳は、印刷、PP張り、抜き加工、手作業等プロセスの中で、YKK六甲には適切な設備がないためにほとんど外注に頼らざるを得ず、いくら仕事が増えても利益率はついてこないという状況が続いていました。「見本帳の印刷ができなかったのは、最初に導入したデジタル印刷機では厚紙が通せなかったからです。その時にハイデルベルグからバーサファイアなら通せるかもしれないという話を聞きました。テストしてみると、問題なく厚紙も通すことができました。が、実は、既存機の後継機も厚紙を通すことはできたのですが、バーサファイアの用紙搬送は紙詰まりをすることもなく抜群にスムースでした。また、タッチパネルや紙詰まりした時の点検箇所、トナー交換の容易さ等、既存機を使用していた時にこうであればいいと思っていた機能がすべて装備されていたことも、バーサファイアを選択した理由です。」と、語り、さらにバーサファイアを見た時には、ワクワクする何かがあったことを小山社長は明かしています。そして、実は、2019年の2台のバーサファイア導入が、YKK六甲と、それまで取引がなかったハイデルベルグとの初めての取引となりました。
「デジタル印刷機を最初に導入したときから、なぜオフセットとデジタルのRIPが別々になければいけないのかをずっと疑問に思っていました。ひとつにまとめて欲しいというお願いをしていましたが、他社さんからはそれはできないという回答を頂いており、そういうものだと思いこんでいました。が、バーサファイアが来た時に、プリネクトならまとめられるという話を聞き、これは私が最も実現したかった事のひとつだったので、すぐにワークフローを入れ替えました。現場からは、画面上に文字だけでなくイラストが出てくるので操作が覚えやすいとか、操作が楽で簡単になったという声を聞いています。」と、小山社長は、自分の理想のワークフローを構築でき、それに現場も多くの利便性を享受ていることに満足感を感じていました。現在は、1000部くらいまでの中綴じ、チラシであれば2000から3000部くらいまでをバーサファイアで印刷しています。
今後の方向性について、小山社長は、「私としてやりたいことを十分やってきました。これからは、崎濱工場長や江口グループ長の時代です。ですから、今は、彼らがやりたいことを見つけ出せるような環境づくりをしています。発展させていくのか、現状維持をしていくのかは、彼らに決めて欲しい。障害者雇用促進法に基づく特例子会社なので、残していかなければいけない仕事もあるし、会社として続けなければならないという使命もあります。それ故に、変われない部分もある。現状維持が必ずしも悪いとは言えません。」と、会社の将来への方向性について問いかけました。これに対し、事業推進グループ長を務める江口俊介氏は、「印刷に関しては、変われない部分を守るためにも、なくならない仕事を引き続き獲得していきたい。一方、将来を見据えて、時代の変化に対応しながら変わらなければならない部分は変えて、障害者の人にもできるデジタルの仕事も増やしていきたい。」と、これからの会社の方向性をしっかりと見据えていました。